1976-1987

全国制覇への道

1976年昭和51~52年

チーム
9月29日
ブリティッシュコロンビア大学と国際親善試合に兵庫県代表チームとして参加
12月5日
関西Aリーグを1勝5敗でユニチカ、栗田工業と並び同率最下位で終えるルール改正により、ヤードからメートル表示へ

部長:浅利 明 / 監督:大前 駿二 / 主将:二階堂 洋史

1977年昭和52~53年

チーム

部長:浅利 明 / 監督:大前 駿二 / 主将:伊藤 優

1978年昭和53~54年

チーム
8月
オックスフォード大学(英)より、2選手を受け入れ 社会人チームで初めての外国人選手誕生
10月22日
創部50周年記念式典を開催

部長:浅利 明 / プレイングマネージャー:二階堂 洋史
主将:中熊 道人

1979年昭和54~55年

KOBELCOグループ

国際統一商標として「KOBELCO」ブランド制定

溶接ロボットARCMAN™開発

チーム

部長:浅利 明 / 監督:松下 哲三
主将:中川 裕文

1980年昭和55~56年

チーム

ルール改正により、トライ後のゴールを2点とし、トライ4点に加算する方式になる

部長:浅利 明 / 監督:松下 哲三
主将:安井 敏明

1981年昭和56~57年

チーム

関西Aリーグを6勝1敗の2位で終える

部長:槌本 正之 / 監督:浅利 明
主将:辻本 好四郎 / 副将:大山 文雄

1982年昭和57~58年

チーム

部長:槌本 正之 / 総監督:浅利 明
監督:二階堂 洋史
主将:津高 誠一

1983年昭和58~59年

KOBELCOグループ

米国Midrex社買収

チーム

キャプテンを互選方式で選出(新キャプテンに安積が就任)

12月11日
関西Aリーグ初優勝
1月6日
第36回全国社会人大会で、33年ぶりに準決勝進出

部長:徳田祥一 / 総監督:浅利 明
監督:二階堂 洋史
主将:安積 英樹

1984年昭和59~60年

チーム
4月
監督制廃止
11月
スタンレー杯の世界選抜チームに、林が日本人選手として初めて選出される
12月2日
トヨタ自動車を初めて破り、関西Aリーグ単独優勝
1月6日
第37回全国社会人大会で、初の決勝進出
1月15日
第22回日本選手権において新日鐵釜石が同志社大学を破りV7達成

部長:徳田祥一 / 副部長:浅利 明
ヘッドコ-チ:安井 敏明 / コーチ:金崎 章、津高 誠一
主将:東山 勝英

1985年昭和60~61年

チーム
1月2日
第38回全国社会人大会準決勝で、新日鐵釜石を破り、釜石V8を阻止
2月
英国へ遠征

部長:上村 隆 / コーチ:金崎 章
主将:東山 勝英

1986年昭和62~63年

チーム

部長:上村 隆 / コーチ、マネージャー:金崎 章
主将:林 敏之

1987年昭和62~63年

チーム

第1回ワールドカップに、林、萩本、大八木、平尾の4選手が日本代表に選出

4月
ヘッドコーチ制を廃止 キャプテン中心のチーム運営に
5月~6月
第1回ワールドカップ開催(豪州・ニュージーランド)

部長:上村 隆 / 主将:林 敏之
BKリーダー:平尾 誠二

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