取材日:2023年8月3日
2023年度新加入選手インタビュー Part.3 ティエナン・コストリー選手
オーストラリア生まれのニュージーランド育ち。愛称の「タマ」は、マオリ語で「男の子」という意味だそう。大学1年の時に来日し、4年の時には、バイスキャプテンとしてチームを創部史上初の大学選手権出場へと導きました。そして今年1月、神戸スティーラーズの一員となり、「NTTリーグワン2022-23」第10節東芝ブレイブルーパス東京戦をはじめ、5試合に出場。リーグワンでも通用するところを見せました。オールブラックスよりも、「日本代表になりたい」と決意するコストリー選手。今後さらなる成長が期待される彼に日本でプレーすることになったきっかけなどを聞きました。
「日本代表入りし、RWCオーストラリア大会に出たい! まずはチームでレギュラーポジションを獲得する」
NO.8
ティエナン・コストリー
TIENNAN COSTLEY
PROFILE
- 2000年6月14日生まれ(23歳)、ニュージーランド・オークランド出身
- ウエストレイクボーイスハイスクール→IPU環太平洋大学
- ポジション/NO.8
- 身長・体重/191cm・100kg
アーリーエントリーとしての出場経験を今後に活かす
アーリーエントリーとして昨シーズン5試合に出場しましたね。
「デビューできたらいいなとは思っていたのですが、外国人選手の登録人数に制限があり、アーリーエントリーができるのかわからない状況でした。そこで、ナニ(・ラウマペ)が怪我をし、彼の代わりにエントリーできることになりました。仲間の負傷は残念に思いましたが、試合に出ることができ、嬉しかったです。いい経験をさせていただきましたし、この経験を今シーズンに活かしていきたいと思います」
デビュー戦となった東芝ブレイブルーパス東京戦の出場は、マルセル・クッツェー選手の体調不良により急遽決まりました。
「前日に先発出場になると聞いて驚きました。あまり良い準備はできていなかったのですが、パフォーマンス自体は悪くなかったと思います。その後、4試合に出場し、自分に足りないところなどがよくわかりました」
課題はどこにあると感じたのでしょうか。
「大学リーグと比べると、リーグワンの選手は大きくて、パワーがあります。その分、私もフィジカルをもっと鍛えないといけないと感じました。タックルも持ち味の1つですが、相手を押し倒せるようなディフェンスをしないといけないと思いました」
逆に通用すると思ったところは。
「スピードをいかしたボールキャリーです。この部分はリーグワンのレベルでも通用すると感じることができました。この部分はさらに磨いていきたいと思います」
ポジションへのこだわりはあるのでしょうか。
「大学時代に一番多く出たのは、NO.8ですが、フランカーもロックもできます。試合に出たいという気持ちがあるので、ポジションはどこでも構いません。ただ、個人的にはスピードも武器ですので、オープンサイドフランカーで勝負したいと思っています」
コロナ禍で苦しい思いも目標を達成できた大学時代
ところで、改めてコストリー選手が日本に来ることになった経緯などを伺いたいのですが。まず、ラグビーは何歳からプレーしていたのですか。
「兄が2人いて、彼らがやっていたこともあり、5歳からはじめました。次男は、今もラグビーをしていて、今年オランダリーグのチームと契約をしました」
高校卒業後、IPU環太平洋大学に進学することになったのは。
「ニュージーランドにいた時は、NPC、スーパーラグビー、そして、いつかオールブラックスでプレーしたいと思っていたのですが、高校卒業後、行きたかったカンタベリーのアカデミーに入ることができなかったんです。それで、第2希望のノースハーバーに入ろうか考えている時に、高校のコーチに電話があり、IPU環太平洋大学でプレーしないかと私にオファーがきたんです。日本について知識がなかったので、来日を決める前に、母と一緒に大学がある岡山へ行きました。大学の周辺は田畑に囲まれていて何もないのですが、クラブハウスと寮は新しくて設備が整っていて、学長もとても良い人でした。その夜、ホテルで母と将来について話し合ったんですが、私には考えないといけないことがあって…。実は、その時父が筋萎縮性側索硬化症という脳の病気で、余命宣告をされていたんです。少しずつ弱っていく病気で、そんな父をニュージーランドに置いて日本に行っていいのかと悩んでいたんですが、母が、日本はとても良いところだし、このビッグチャンスを逃したらいけないと。もし、日本に行くことを辞めてニュージーランドに残ったとしても、父は喜ばないし、 逆に自分のせいで息子のチャンスを潰してしまったと思うに違いないと説得されました。悩んだ末に、日本でプレーすることに決めたんです」
日本に来てどうでしたか。
「日本語の習得が大変でした。チームのS&Cコーチが英語を話せるので、最初の頃は通訳をしてもらっていたのですが、練習の時だけなので、プライベートはサポートがなくて苦労しましたね。日本人のチームメイトと仲良くなりたいという一心で、間違っていてもいいから日本語でどんどん喋りかけて、言葉を身に付けていきました」
ラグビーはどうでしたか。
「日本に着いて3週間後に、『関西セブンズフェスティバル』が鶴見緑地球技場で行われて私も出場しました。初戦が関西大学との試合だったんですけど、12秒で親指を脱臼したんです。試合にはその後も出続けて、トライも獲ったんですけど、日本でのファーストゲームの印象はあまり良くなかったですね。2試合目は、天理大学との対戦でしたが、ボロ負けしました。天理大戦で特に印象に残っているのは、シオサイア・フィフィタ(トヨタヴェルブリッツ)です。当時、私は90kgしかなかったのですが、フィフィタは体がデカくて、筋肉隆々で、スピードがすごかった。日本での活躍を諦めて、ニュージーランドに帰ろうと思ったくらい衝撃的でした」
ニックネームは「タマ」。どういう意味なのでしょうか。
「『タマ』はマオリ語で『男の子』という意味です。ティエナンは日本人には発音しにくいですし、呼びにくいので、大学に入ってすぐ、みんなに『タマと呼んでください』と言いました。大学時代はよく猫の名前みたいと言われましたね(笑)」
日本での生活は楽しかったですか。
「1年生の時は、すべてが新鮮で楽しかったです。父がその年の冬に亡くなり、これまでの人生で一番悲しい出来事が起こりましたが、新しい国で新しい経験をして充実していました。ただ、2年と3年の時はコロナ禍になり、家族とも会えないし、ラグビーもできない時期があって最悪でした。2020年のクリスマスは、何回泣いたかわからないくらいです。クリスマスは、ニュージーランド人にとって家族で過ごす大事な日。一人で過ごしていたら、悲しくなってきて…。一緒にIPUに入学した高校の同級生がいるんですが、彼がいなかったら、すべてを投げ出してニュージーランドに帰っていたかもしれません。お互いに励まし合って乗り越えることができました。それと、この2年間は、チームの雰囲気もよくありませんでした。私自身、家族と会えないこともあって、フラストレーションが溜まっていて、無意識にチームメイトに対して冷たい態度を取っていて…。もちろん、みんなも同じように精神的にきつい状況だったのに、それを理解できなかった。それで、4年に上がる前に2年半ぶりにニュージーランドに帰り、家族からパワーをもらいました。チームメイトも僕のことを理解してくれて、また前のように仲良くなって、4年は、目標にしていた大学選手権にも出場でき、素晴らしい1年を過ごすことができました」
大学4年の時はバイスキャプテンだったんですよね。大学選手権出場を決めた朝日大学との一戦は、30-28という接戦での勝利となりました。コストリー選手は3トライをマークするなど大活躍でしたね。
「1年の時は5-55、2年の時は10-29、3年の時は7-14と、徐々に差は縮まっていました。4年で絶対に勝つと思っていましたし、関西大学春季トーナメントの9位、10位決定戦で朝日大学と対戦した時には27-10で勝つこともできたんです。ただ、そのせいか、東海・北陸・中国・四国代表決定戦は油断が出てしまいました。それでも、最後に私のトライで逆転して、30-28で勝って。まるで映画のような勝ち方で、最高の気分でした」
リーチ選手は憧れであり、良いロールモデル
コストリー選手は、今後どういう選手になっていきたいですか。
「日本に来た時から日本代表を目指していて、リーチ マイケルのような選手になりたいと思っていました。彼のことはチーフスでプレーしていた時から知っていて、タフな選手だなと思いながら試合を見ていて、日本の選手だとわかって驚いたことをよく覚えています」
リーグワンデビュー戦となった東芝ブレイブルーパス東京との対戦で、コストリー選手のトイ面はそのリーチ選手でしたよね。
「そうなんです!デビュー戦で目標とする選手と対戦できて光栄に思いました。リーチは、フィジカルが強くて、激しくて、ただただすごかったです。僕はまだまだ体も細いですし、体重をもっと増やさないといけないと思いました。試合後、彼と話す機会があったのですが、めちゃくちゃいい人で。いいロールモデル(手本)ですし、彼のような強い選手になって、私も日本代表で活躍したいと思います」
日本代表の話題になったところで、東芝ブレイブルーパス東京のワーナー・ディアンズ選手に似ていると言われませんか。
「言われますね(笑)。昨年10月末に行われたオールブラックス戦でディアンズ選手がチャージしてトライをしたシーンをニュージーランドにいる母が見て、私がトライしたと間違えたくらいですから(笑)。ただ、彼の方が年下なので、似ていると言われて、ちょっと恥ずかしいですね」
ディアンズ選手とも話はしたんですか。
「そこまで深い話はできなかったですが、喋りました。彼もナイスガイでした。4年後、彼と一緒に『ラグビーワールドカップ2027オーストラリア大会』に出場したいですね」
日本人選手と外国人選手の絆を固めるような存在に
目標は日本代表としてワールドカップに出場することだと。
「もちろんです。3年以内に日本代表入りし、ラグビーワールドカップに出場する。次の大会は、生まれ故郷のオーストラリアでの開催です。私は4歳の時に家族と一緒にニュージーランドに移住しましたが、オーストラリアには親戚がたくさんいるので、みんなの前で試合に出場できたら最高です。ただ、日本代表の前に、神戸スティーラーズで試合に出られないと、メンバー選考にも入りません。まずは神戸スティーラーズでポジションを獲得することが目の前の目標になります」
今シーズン、アーディ・サベア選手という強力なライバルが加入します。
「昨年秋にオールブラックスが来日した時、大学の先輩であり以前神戸スティーラーズで通訳をしていたジョー(・ラッシュ)さんに声をかけていただいて、サポートメンバーとして練習に参加したんです。その時、サベア選手に『大学を卒業したら、神戸スティーラーズに入ります』と声をかけたら、『また会おうな』と言ってくれて、いい人だなと思いました。彼とグラウンドで競争して、世界レベルのタックルの激しさや強さを感じて、成長していきたいです」
8月14日からはデイブ・レニーヘッドコーチによる指導がスタートします(取材日は8月3日)。
「ワラビーズの試合も見ていました。代表レベルのヘッドコーチから指導を受けられることにワクワクしています。どんなラグビーをするのか楽しみですし、成長できる良い機会ですので、これまで以上にハードワークします」
今シーズン、チームの目標は優勝です。コストリー選手の個人として目標は。
「まずは試合に出る。そして、まだ若いですが、リーダーを支える存在になっていきたいと思います。それに私は日本語も話すことができます。日本人選手と外国人選手をつなげるような役割ができたらいいなと。アンディ(アンドリュー・エリスアドバイザー)がそんな存在だったと聞いていますので、チームの絆を強めることもやっていきたいと思います」
では最後にSteel Matesの皆様へメッセージをお願いします。
「たくさんの方々にスタジアムへご来場いただき、皆様の前でワクワクするようなラグビーをご覧いただきたいと思います。今シーズンは、強い神戸スティーラーズを見ていただけるようにチーム一丸となって頑張りますので、応援よろしくお願いします!」
流暢な日本語で話をしてくれたコストリー選手。その卓越した日本語の能力で日本人選手と外国人選手の絆をより強固なものにしていき、チームの結束力を高めていきたいと話します。神戸スティーラーズでレギュラーを獲得し、今後、日本代表としてワールドカップ出場を目指すコストリー選手。Steel Matesの皆様、これはもう全力で応援するしかありませんよ!