close-up KOBE -Long interview-

ロングインタビュー

2023年度新加入選手インタビュー Part.4 清水 麻貴選手

 取材日:2023年8月3日

2023年度新加入選手インタビュー Part.4 清水 麻貴選手

「ラグビーワールドカップ2015イングランド大会」での日本代表の躍進に感動し、勢いでラグビーをはじめたという清水選手。高校時代に出場した全国大会は、アシックスカップ(全国高等学校7人制ラグビーフットボール大会)のみですが、進んだ東海大学で研鑽を積み、4年の時にレギュラーを獲得しました。神戸スティーラーズでは、イングランド大会に出場したベテランSHの日和佐 篤選手をはじめとする先輩たちから多くを吸収し成長していきたいと意気込む清水選手の“これまで”と“これから”とは?話を聞きました。

「ラグビー人生で2度目の成長期に突入!
先輩たちに追いつけ追い越せで邁進する」

SH

清水 麻貴

MAKI SHIMIZU

PROFILE
  • 2001年2月2日生まれ(22歳)、群馬県高崎市出身
  • 東京農業大学第二高校→東海大学
  • ポジション/SH
  • 身長・体重/170cm・75kg

リーグワンで戦える土台作りからはじめる

チームに合流してから約7ヶ月が経ちましたが、大学時代と比べて違いを感じたことなどを教えてください。

「年齢層の幅の広さを感じました。ヤンブーさん(山下 裕史)とは15歳離れていますし、日和佐(篤)さんとは、14歳違います。特に日和佐さんは同じポジションですし、14年分の経験の差があります。『ラグビーワールドカップ2015イングランド大会』をテレビで見ていましたし、その時に出場していた選手と一緒にプレーしているということにも驚いて。あと、山中(亮平)さんやナニ(・ラウマぺ)といった代表クラスの選手もいて、すごいチームに来てしまったと思いました。最近になって、ようやくその環境にも慣れてきました」

ベテランの日和佐選手から教えてもらうことはあるのでしょうか。

「入団以来いろいろなことを教えてもらっています。これまで僕はスクラムハーフとしてパスを投げ込む練習しかしてこなかったのですが、日和佐さんはパス以外にもいろいろなスキルトレーニングをしています。練習メニューだけでも日和佐さんはたくさんの引き出しを持っていますし、スキルもまだまだ差があります。大先輩から見て聞いて、あらゆるものを吸収して成長していきたいです」

特に日和佐選手から教えてもらったことで印象に残っていることとは。

「すべてが印象に残っていますが、すごいなと思ったのは、日和佐さんのゲームの組み立てですね。僕はこれまでただただ早くボールを出すことしか考えていなかったのですが、日和佐さんは、常に状況を考えながらプレーされていて。こういうシチュエーションでは、どこを意識してプレーしているかなど、どんどん聞いて教えてもらっています」

今後伸ばしたいと考えているところは。

「リーグワンのレベルで戦えるフィジカルとフィットネス、スキル…すべてですね。まず土台を作らないといけないと思います。自分に鞭を打って追い込んでやっていきます!」

実はラグビー一家なんです!

ところで、清水選手のこれまでの競技歴を伺いたいのですが。清水選手のお姉さん・麻有選手は、女子15人制日本代表で、7人制でも主将として東京五輪に出場しているんですよね。

「そうです。父も以前、東京農業大学第二高校でラグビー部の監督をしていたんです。それもあり小さい頃は、僕も姉と一緒にラグビースクールに入っていたんですが、友達と遊ぶ方が楽しくなってきて、練習にも参加しなくなって。その後、水泳や柔道をはじめましたが、それも徐々につまらなくなって途中で辞めてしまいました。中学では、バスケットボール部に所属していましたが、中学3年の時に、『ラグビーワールドカップ2015イングランド大会』を見て衝撃を受けて。高校はバスケ部が強い公立の学校に行こうと思っていたのですが、 直感的にラグビーをはじめようと思い、父がラグビー部に関わっていたこともあり家から近い東京農業大学第二高校に進学することに決めました」

イングランド大会を見て、再びラグビーをはじめたと。

「子供の頃はほとんど練習に参加していなかったので、ルールもまったく知らなくて(苦笑)。高校で1からスタートする感じでした。ただ、高校に入るまで父からパスの仕方を教えてもらっていたので、初心者の割にパスはできたと思います」

高校からスクラムハーフだったのでしょうか。

「僕らの代は経験者が多くなかったので、パスができる人がスタンドオフを任されるという感じでした。なので、僕も最初はスタンドオフをして、時々、センターやウイングでプレーしていました。ただ、僕たちの高校は弱いので、外までパスが回ってこず、ウイングをするとボールを触らずに試合が終わってしまうことがあって(苦笑)。それで、監督にウイング以外のポジションをお願いして、高校2年の夏からスクラムハーフでプレーするようになりました。それから後藤 翔太さんやアーロン・スミスのYouTube動画を見て、パスの仕方を真似したり、先輩から教えてもらったりして、徹底的に投げ込んでパスを身に付けていきました」

高校時代に花園等の出場はあるのでしょうか。

「高校1年の時にチームは花園に出場しましたが、僕はメンバーに入っていなくて。アシックスカップ(全国高等学校7人制ラグビーフットボール大会)に出たのが、唯一の全国大会です」

コロナ禍が成長のきっかけに

高校卒業後、東海大学に進むことにしたのは。

「父が日本体育大学出身なので、僕も同じ大学に行って、教員免許を取得し、子供たちにラグビーを教えようと考えていました。そう思っていたら、2年の時に日本体育大学の試合が群馬県で行われ、補助員として東京農業大学第二高校ラグビー部が手伝うことになったんです。試合は日本体育大学が敗れたんですが、それを見て、ちょっと待てよとなって…。高校でも大学でも負けが続いていたら、ラグビーを嫌いになるかもしれないと思ったんです。その後、たまたま東海大学の試合を見る機会があり、フォワードもバックスも強くて、びっくりしました。最終的に強いところでラグビーがしたいと思い、東海大学へ進むことにしました」

東海大学は部員数が多いと聞きます。

「僕の時は、1年から4年まで総勢190人ほどでした。スクラムハーフだけでも20人近くいて。上はAチームからJくらいまでチーム分けされるのですが、僕はもちろん一番下でした。けど、1年、2年は出られなくても仕方がないと思っていましたので、腐ることなく練習をし続けました。パス練習やウエイトトレーニングは誰よりもやったという自負はあります」

試合に出られるようになったきっかけはあるのでしょうか。

「僕の場合はコロナ禍だと思います。大学2年、3年の時にコロナ禍となり、特に2年の時は練習もできなくて、チームを解散し、部員はそれぞれ実家に帰ったりしました。これをチャンスに変えようと、実家でひたすら個人練習しました。家の近くに山があり、そこに急な階段があるんです。そこまでランニングして、階段を往復して、1日10kmは走っていたと思います。パスは、一人でも練習できるようシャドーボールを購入し、壁当てをしていました。あとは、大学の先輩である吉田 朋生さん(元・東芝ブレイブルーパス)に動画を送って、パスやキックのフォームを見てもらったりしていました。そういう日々を数ヶ月送った後、チームが再始動し、運良く上の方のチームに入ることができたんです。それでCチームやBチームの試合に時々出させてもらうようになりました。ただ、先輩たちに比べると、フィジカル、フィットネス、スキルも足りないと感じて…。それでまたトレーニングに明け暮れました。3年の時は、自信もついて、レギュラーを獲得できるかと思ったのですが、結局、公式戦は1試合しか出られなくて。4年になって最初の部内マッチで活躍したことで、ようやく9番に定着しました」

大学4年の時は春季大会から試合に出続けたんですよね。

「春季大会初戦の早稲田大戦で脳震盪を起こし、翌週の大東文化大戦はメンバー外だったのですが、その後も、下のチームに落ちることなく試合に出ることができました。初戦の早稲田戦は、早稲田大学の方が前評判は高かったのですが、それを覆して、僕らが38-29で勝った。それでコーチ陣からの信頼を勝ち取ることができたのかなと。秋のリーグ戦では、初戦の東洋大学に負けてしまいましたが、大学選手権まで出続けることができて嬉しかったです」

一番下のチームから4年かけてレギュラーポジションを獲得した。下剋上を成し遂げたわけですね。その原動力とはいったい何なのでしょうか。

「一番はラグビーが好きだという気持ちだと思います。そして、やるからには試合に出たいという思い。1年の時に一番下のチームで、そこから4年でレギュラーを取ったという選手はなかなかいないと思います」

最強のスクラムハーフを目指して

神戸スティーラーズでもレギュラーを取るために1からスタートですね。

「日和佐さんをはじめ、経験もスキルもある先輩たちにまずは追いつくことができるよう、練習に取り組んでいきます。これまでのラグビー人生を振り返ると、ずっと感覚だけでプレーしていました。それではダメだということを日和佐さんから教えていただき、パスの仕方から学んでいるところです。ラグビー人生の中でまた成長できる時期だと思いますので、自分のプレーがどうなるのか楽しみです」

現時点でのアピールポイントはどこですか。

「テンポの早い球捌きとディフェンスです」

具体的にどういうスクラムハーフになっていきたいと思っていますか。

「アーロン・スミス、ウィル・ゲニア、ファフ・デクラークを足したような最強のスクラムハーフになりたいです。気持ちを前面に出しつつ、頭も使ってスマートにプレーしたいと思います。日和佐さんやほかの先輩たちに追いつけ、追い越せで頑張ります!」

コベルコスティーラーズで達成したいことは。

「日本一のタイトルを取ることです。もちろん、取るだけでなく、優勝の瞬間をグラウンドで味わえるようにしたいと思います」

では最後にSteel Matesの皆様へメッセージをお願いします。

「強い神戸スティーラーズを見せることができるよう、チーム一丸となって頑張ります。一生懸命頑張りますので、応援よろしくお願いします!」

神戸スティーラーズにはトライアウトを受けて入団が決定。清水選手は「神戸スティーラーズといえば、ラグビー界の名門です。入団が決まった時はとても嬉しかったです」と振り返ります。「ラグビーが好きだ」という熱いハートの持ち主は、これまで以上にハードワークし、大学時代同様に神戸スティーラーズでもポジション獲得を目指します!

loading